■TAKAのボルドー便り■
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52.南伊豆の漁村を訪ねて |
釣りが好きな私はフランス生活の中でも合間を見つけて釣りにでかける。昔から磯釣りが大好きだ。微細な浮きを強靭でしなやかな長尺竿で操り、潮の流れのままに餌を流していく。ここに魚がいる筈だ!浮きに変化がでるとすれば今だ!と予想した時に浮きがスッと沈んでいくのを見るのはまことに気持ちがいい。自分の読みが当たったからだ。 こんなスタイルの釣りをボルドー近郊でしたいとなれば、スペインとの国境近くのビアリッツまで行かなければならない。そこは紺碧の海ではないけれども十分に青く美しい海だ。バックに洋館ともシャトーともいえる壮大な別荘やホテルが林立しているのがみえる。 あぁ、ここは外国なんだといまさらながらに思ってしまう。私の心の中の、故郷とも呼べる海は南伊豆の海だ。帰りたい・・・、帰って今心の中に刻まれているあの海をこの眼で見てみたいと何度も思った。 南伊豆の港町はそれぞれがそれぞれに美しい。 なんとも長閑で時間がゆっくりと流れている。 防波堤で釣りをしていると午後5時には村の役場の鐘が鳴るのが聞こえる。村によってそれはドヴォルザークの交響曲“新世界”に登場する“家路”だったり、“夕やけこやけ”だったりするのだが、共通していることはどこか音が半音ずれていること。その調子はずれがまた一層郷愁を誘う。 そのうち民宿のおばさんが“ご飯ができましたよ”と呼びに来てくれる。そういう時に限って、魚が釣れ盛る時間帯だったりする。 中木という南伊豆のある港町を今回の一時帰国の際に15年ぶりに訪ねてみた。そこは何も変わってはいなかった。ただ、私の見覚えのある人たちはみんな歳をとっていた。 街はずれに一軒の雑貨屋がある。本当に雑貨屋と呼べるくらい、なんでもある。釣りの道具、餌、缶ジュース、パン、漬け物、洗剤、履物などなど、枚挙に暇がない。 ここはおばさんが一人で経営している店だ。本業はご主人が南伊豆全体でとれるアロエの加工業をしているので、このお店はそこのおばさんのいわゆる道楽のようなものなのだろうか。扱う商品の数があまりにも多くて手が回らないのか、食べ物に関しては賞味期限が過ぎたものがやたらに多い。しかしそれを隠すという考えはないようだ。 例えばカビがもうもうと生えたメロンパンが公然とガラスケースに鎮座している。15年ぶりにこの店に立ち、いまでもカビの生えたメロンパンはあるだろうかと、懐かしみながらあたりを眺めてみた。 当時のあのおばさん?一瞬は判らなかった程歳をとっていた?が、“なんだ、どっかで見た事のある顔だーっ”といいながら土間から降りてきた。フランスへ行く時にワインの勉強をしにいくので暫くはもう来れないといって挨拶したのが15年前の事。 当時、ここは民宿もやっていて随分とご厄介になったものだから、そんな風なことをいってお別れをしてフランスへ行ったのだった。 他の人にはあまり詳しくフランスへ行くことを話さなかった私だけれど、このおばさんには素直に伝えていた。“わたしゃ、若いころ郵便局に勤めていたんだ。だから口は堅いよ”と言ってくれたことを思い出す。 “そうだよ、フランスへ行くって言ってたでしょう”、“あーっ、あの時のあんたかね”“ソムリエの免状とっただか?”と大声でいわれてしまった。こんな?と言ったら失礼かもしれないが、港町にでもソムリエという言葉が浸透しているということに驚いてしまった。 まっ、おばさんにとってはワイン博士もソムリエも同じこと。 “はいはい、免状をもらって、いまはフランスで暮らしているんだよ”、“なんだーっ、向こうで原住民になっただか”・・・?。 だんだん回路が混乱してきたらしいので話題を変えてみた。 “凄いね、まだこのお店が続いているなんて”、“やめよう、やめようと何度も思ったけれどまだ続いているよ”とおばさんは微笑んだ。そのお店をぐるりと見渡せば、残念ながら期待したカビの生えたメロンパンはそこにはなかったものの、当時と変わらぬ雑然と置かれたインスタントラーメンの山や漬け物の山は、私を15年前へタイムスリップさせるには十分な材料だった。 この店に立ち寄ったついでにこの中木の防波堤で釣りをしてみた。 日中にもかかわらず、高級魚のシマアジの子供が釣れ盛った。夕方近くになると地元の釣り人達がちらほらあらわれ始めた。 やはり狙いはアジとシマアジらしい。それを民宿の客にだすのか、それとも自家用なのかは定かではないけれども・・・。 夕刻迄夢中で釣っていたのだけれど、ふと我に帰ると自分の後ろに一匹の猫がいることに気が付いた。“これ、おじさんの猫なの?”ととなりの地元の釣り人に聞いてみたら、“この子は野良猫だよ”、“夕方いつもこの防波堤にきて魚狙ってんのさ”という返事が帰ってきた。魚を狙うのというのはその猫が海から魚を穫るのではなく、釣り人が釣り上げた魚を狙うらしいことがわかった。 とその時、私の竿にシマアジがかかった。 さっそく針をはずして、その猫にあげようと思うまでもなく、針が自然にはずれてポトッと魚が落ちたと同時にすでにその猫は魚をくわえていた。 それは野良猫、まさに野生の眼をしていた。魚をくれた私にも優しい眼をみせなかった。それをその場で小さなライオンのような仕草で食べていた。しかしまだお腹が空いているらしい。 私の後ろで待機している。他の釣り人を無視しているようだ。 私は心の中で密かに有頂天になっていた。この猫は誰が釣りが上手いか知っているのだ!だから私から離れようとしない・・・。 とつまらぬことを考えていたら今度は小サバが釣れた。これはちゃんと針を外してやって、その猫にプレゼントをしてやった。すると、また例の野生の眼をして私をにらみつけて、そのサバを当然のように持ち去った。 翌日も同じ場所で釣りをした。 あの猫はまた果たしてくるだろうか?そんなことを考えていると、同行の友人の“あっ昨日の猫が来た!”という叫びで振り返るとやや遠いところにその姿を認めた。向こうも確かにこちらを見ている。しかしそこから先には近付くことなく、我々にしっぽを向けて遠ざかってしまった。“どうした、今日は魚が欲しくないのか?”と心の中で呟いたけれどもその猫はやはり戻ってこなかった。そしてその日はそれからまったく釣りにならなかった。 私にも、同行の友人達にも全く魚は釣れなかった。 凄い予知能力!あの猫は今日は私達が魚は釣れないということを見抜いたのだろう。だから近寄ってこなかったのだ!身近な野生の能力と意外な場所で出逢ったようだ。 それにつけても、“今日は釣れないよ”と早く言ってくれれば無駄な時間を過ごさずに済んだのにと悔やまれてならなかった。 15年前にもここの防波堤で釣りをした。 もうこの海は見る事はないかもしれない、この景色をしっかり覚えておこうと呟きながら竿をたたんだ事を思い出す。 時の流れは早い。また来年も来れるだろうか?と思いながらこの海をあとにした。 |
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